有鹿神社 海老名

頭はパンダ、身体は神職のパンダ宮司で有名な有鹿神社はパンダをキャラクターとして全国区にのし上げた。神社は、誕生から老後まで庶民の日常生活に欠かせない存在である。その意味でも、パンダ宮司は、積極的に若者から老人まで神社へ参拝するための動機造りを行っている。ヴィジュアル時代だから、誰にでもわかるパンダや干支のイノシシをキャラクターとして、大々的に露出させている。神社は、古いだけで下火になってしまうところもある。弥生神社などのように新しく合祀(ごうひ)させた神社が人気があったりする。

有鹿神社 海老名
有鹿神社 海老名
有鹿神社 海老名
有鹿神社 海老名

神奈川県神社庁によると、奈良から平安初期まで、海老名耕地という大墾田を背景として、有鹿郷の中心に国府がおかれていた。国府の守護をする神社として有鹿神社は霊験あらたかな神社であり、天智天皇3年(664)、国家的な祭礼を行い、また、延長5年(927)、延喜式の制定により式内社に列せられた。広大な境内には美麗な社殿が建立されており、また、天平勝宝8年(756)、郷司の藤原廣政の寄進により、海老名耕地五百町歩が神領となったそうだ。

有鹿神社 海老名

8世紀中頃には相模国分寺が創建されていたと言われている。奈良時代である。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代でもあった。聖武天皇は、三世一身法に代わる法律として、743年に墾田永年私財法を出し、開墾した土地の永久私有を認めた。この法律によって、貴族や寺院、地方の豪族たちは農民を使って開墾を行い、私有地を広げるようになり、公地公民制はくずれ、この私有地は後に荘園とよばれるようになった。また、8世紀の中ごろに、伝染病が流行し、また、災害や貴族の争いなども起こったため、仏教を深く信仰していた聖武天皇は、仏教によって国を安定させようと、都に東大寺を建て、行基という僧を中心に大仏をつくらせ、国ごとに国分寺と国分尼寺を建立させたとある。

そんな時代でも神社は神社で輝かしい歴史を作っていた。

神奈川県海老名市上郷1-4-41

【参考資料】
有鹿神社公式サイト
神奈川県神社庁

ネットの学校、Hello School

カテゴリー: kaz

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