三島神社 海老名

三島神社 海老名

三島社(みしましゃ)の祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)。ご神体は武者姿でしたが、昭和23年2月9日の火災で焼失。祭神の本仏地は「新編相模国風土記稿」によれば、天保年間(1830~43)には薬師如来であったとされます。境内にはかつて、正徳4年(1714)に粉川市正が鋳造した供鐘があったという。

三島神社 海老名
三島神社 海老名

ご神木は周囲約8.5メートルの槻(つき)の木で、中に空洞があり大蛇が住んでいたとの伝承がありましたが、現在は残っていない。「槻」の意味はケヤキの古名のこと。境内に向かう参道には数本のクスノキとムクノキがあり、神社の裏手に廻ると、自然緑地保全樹木に指定された見事なマキの大木があります。

マキは、照葉樹林に生育し、神社林などでは優占している場合もあるという。その意味でも槻(つき)に始まり、クスノキとムクノキ、マキと神社になくてはならない樹木の宝庫のようだ。

三島神社 海老名
三島神社 海老名

神奈川県海老名市社家3392

【参考資料】

三島社の 不動明王 いかめしく
海老名市社家にある「三島社(みしましゃ)」

浅間大神 海老名

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という神様が祭られている浅間大神(アサマダイジン)は、延暦元(782)年、冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)を勧請(かんじょう)して創建された歴史のある神社だ。勧請(かんじょう)とは、神仏の分霊を請じ迎えることをいう。女性的なものを探したら、灯篭に刻まれた毬のような模様があった。

浅間大神 海老名
浅間大神 海老名
浅間大神 海老名
浅間大神 海老名
浅間大神 海老名

木花咲耶姫は、竹取物語のかぐや姫のモデルにもなったといわれる、日本神話に出てくる国津神という神様です。物語の中でとても重要な働きをする神様で、今の天皇家につながる神様ともいわれている。妻の守護神、安産の神、子育ての神、酒の神として信仰を集めている。

住所:海老名市下今泉5-8-15

浅間大神 海老名
浅間大神 海老名

【参考資料】
コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)とは|ご利益や祀られる神社・富士山の話などを解説|神仏ネット
浅間大神 | えびなめぐり

内出稲荷 海老名

内出稲荷 海老名

海老名市観光情報によると「鎌倉時代の武士団である海老名氏の一族に国分氏がおり屋敷の鬼門除けとして建立された」と言われている稲荷様。今では、地域の方々が屋根からすっぽり真っ赤にペンキで塗っていた。駅から近く新興住宅地にあり、古くからの住人のボランティアで成り立っている稲荷だ。海老名のコミュニティバスのバス停の名前にもなっている。梅が植えられているので春が綺麗かも。

海老名市国分北1-5

内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名
内出稲荷 海老名

鎌倉時代の武士団である海老名氏の一族に国分氏がおり、国分の地に館を構えたのではないかといわれています。 内出稲荷は、この国分氏の屋敷の鬼門除けとして建立されたとの伝承があります。
内出稲荷 | 海老名市観光情報ページ

大薮稲荷 海老名

大薮稲荷(オオヤブイナリ)は、神奈川県立三川公園の敷地内にある真っ赤な稲荷様。駐車場からのエントランス的な存在だから目立つ。あがた森魚の名曲「赤色エレジー」ではないが、悲しみや喜びをたっぷり味わってきたお稲荷さんだと思ってしまう。

海老名市上郷1丁目21

大薮稲荷 海老名
大薮稲荷 海老名
大薮稲荷 海老名

稲を荷なうと書いて「稲荷」と読むのはこれに由来し、乗ってきた狐は大事な眷族(けんぞく)として扱い、感謝の気持ちを表してともに祭ったので、以来稲荷明神と狐は密接不離の関係で現在に至った。
お稲荷様の話|海老名市公式ウェブサイト

豊受大神 海老名

外宮・豊受大神(ゲグウ・トヨウケノオオカミ)は、食物・産業の守護神である。

後聖武天皇の神亀二年(725年)に勧請、遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ、のち遠馬三郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神としてあがめられたという。江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神となった由緒ある神社だ。

神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ることを仏教用語で勧請(かんじょう)という。

豊受大神 海老名
豊受大神 海老名
豊受大神 海老名
豊受大神 海老名

創建時期は不明ですが、祭神は豊受媛命で、ご神体は木造と伝えられています。拝殿には江戸期の絵馬3面が伝わっており、いずれも海老名市指定の重要文化財となっています。その内の1面は地元の画家である金指桂山が奉納したものとして有名です。
住所:海老名市杉久保北2-22-1
海老名観光

豊受大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の六年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行の処として此地をその鎮の宮と定められた。      
これより後聖武天皇の神亀二年(七二五年)勧請、遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ、のち遠馬三郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神としてあがめられた。江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神と改称した。

御神殿は始め御陵を御神体と崇め拝殿のみであったが、のちこれを改めて内殿の創建が行なわれた。また治承四年七月渋谷重国と遠馬三郎時国公によって神門・社殿その他が新しく造営されたが幾多の兵乱に類焼し再建を重ねてきた。
これより先仁明天皇の承知八年御陵より天照皇大神をご遷座した。奉幣は重陽九月九日、内宮は九月十日と定められた当時の御神域は後陵の伊勢山及び御神林御廟地をあわせて五万六千余坪といわれた。
沿革について棟札によると 享保七年九月造立。明和六年九月修覆。寛政九年九月修造。文政七年九月再建。天保十五年九月再建。慶応二年九月再建(本殿)。明治十一年十月拝殿修造。明治二十一年十月修覆。大正三年九月拝殿修覆。大正五年四月修覆。大正十三年二月修覆。昭和二年修覆。昭和二十三年十月拝殿屋根葺替(瓦葺)、向拝新造。昭和三十一年二月本殿屋根修覆。昭和三十七年十月本殿屋根改築。昭和四十八年十月大鳥居再建。昭和四十八年二月拝殿屋根修覆。昭和六十年十一月拝殿、幣殿改築(木造神明造)。昭和六十年十一月本殿屋根葺替(銅板葺)。昭和六十年十一月手水舎新築。昭和六十一年三月神輿殿新築。昭和六十一年九月御神輿奉献。
六、境内地 一町五反二畝二坪(四五六二) 七、氏子数 三五〇戸 八、社殿 本殿
神明造(木造銅板葺平屋)一、五坪。幣殿(木造銅板葺平屋)六坪。拝殿 神明造(木造銅板葺平屋)十五坪。境内 神楽殿 木造亜鉛鉄板葺切妻 二七坪。神輿殿 木造銅板葺平屋 八坪。手水舎 木造銅板葺 一坪。(含社殿)神饌所〇、九五坪 祭器庫〇、九五坪。九、社務所 木造平屋亜鉛葺 二八、七五坪。十、末社 寄宮五社 山王宮、琴平宮、三峰社、厳島大神、秋葉大神。十一、内宮社 天照皇大神。その他 奉納絵馬三面(市指定重要文化財)江戸期の絵馬 江戸の絵師及当地の絵師 金指恵山作鵺退治の図
神奈川県神社庁

【尊い神に信頼された神】

トヨウケはアマテラスから『ひとりでは安らかに食事が出来ないのでトヨウケを近くに呼び寄せなさい』と丹波国より遷宮させたとされる。

トヨウケは穀物の神様であり、伊勢神宮の外宮に祀られている。ある日、丹波国の泉に天女が舞い降り水遊びをしていた。それを見ていた老夫婦が1人の天女の羽衣を隠してしまう。羽衣を隠された1人の天女は天に帰れなくなり、老夫婦の養女となる。

この天女がトヨウケである。

トヨウケは酒作りが上手く、その酒が高く売れて老夫婦は大金持になる。当時の人にとって米と水は一番大切な食べ物。その水と米を兼ね備え、人を陽気にさせる酒は、とても貴重なものだったはず。この事からも分かるように穀物の神様の所以かもしれない。伊勢神道ではアマテラスが祀られている内宮を北極星、外宮を北斗七星に対応させたという。北斗七星は柄杓の形をしている。
八百万の神大図鑑

庚申堂(こうしんどう)

庚申堂

庚申堂(こうしんどう)がある場所は、国分尼寺金堂阯だ。
相模国分寺跡より北方600メートルに国分尼寺金堂阯(神奈川県海老名市国分北2丁目6−27)がある。中門、金堂、講堂が南北に並び、講堂の両脇に経蔵と鐘楼が付く伽藍配置。

庚申堂
庚申堂
庚申堂

現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
庚申信仰(こうしんしんこう)