貧乏人は飯を食うな それでも生きる方法とは

人は食べなくても生きられる 山田 鷹夫

嬉しい事があった。食事量を減らしたら、生ゴミが三分の一に減った。我が家で初めての快挙だ。ゼロ円生活を一週間続けた成果は、直ぐにでた。何があっても生けていける準備が整ったようで嬉しい。

人は食べなくても生きられる 山田 鷹夫

1950年に『貧乏人は麦を食え』と言った政治家がいた。『貧乏人は麦を食え』のフレーズは、マスコミの報道であり、池田本人の言ではないそうだ。「所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食う」というような発言だったそうだ。当時は、ばか正直な人間が多かった。隠すことなく、感情剥き出しだ。まだ、若かった池田勇人大蔵大臣(当時)だ。今やセレブも食べる健康食だ。

言われなくても、田舎の貧乏人は麦飯だった。私の小学時代は、麦と白米のブランドに昇格していたが。(笑)

その後
子供心に政府の言う事を聞いていたら、楽しい家庭が壊れると思った。
生活のため、家族のため、出稼ぎには出かける家庭が増えた。近代生活が、出来ても幸せは消えた。父親のいない家族を母親が守る。そんな生活は、やつばり、不自然だ。自分たちで生きるすべを学びたいと思う。

貧乏人は麦を食え
『御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。』 — 池田勇人(大蔵大臣)
参議院予算委員会 昭和25年(1950年)12月07日
『貧乏人は麦を食え』はマスコミの報道であり、池田本人の言ではない。
をamazonで探す池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 – 1965年(昭和40年)8月13日)
日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。
大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。
池田は吉田茂からの信認厚く、その自信過剰のあまり問題発言を連発し、物議をかもすこともあった(詳細は後述)。大蔵・通産大臣(第3次吉田内閣)時代の1950年3月1日、「中小企業の一部倒産もやむを得ない」、さらに12月7日、「貧乏人は麦を食え」と発言したとしていずれも問題となる。

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幹事長だった福田赳夫が「岸総理(安部さんのお爺ちゃん)に『所得倍増』をいわせるんだ」と言っていたという。経済企画庁の大来佐武郎が、福田が幹事長だったときに説明に言ったら福田が「何か二倍になるものはないか」と言ったと証言しており、福田の幹事長就任は1959年1月のため、福田は池田の『所得倍増』のアイデアを盗み、池田-下村ラインの経済政策を岸-福田ラインが内閣の方針として取り込もうとしたものと考えられる。

人は食べなくても生きられる 山田 鷹夫 (著)
不食実験3年目の事実がここにある! 食べるって本当に必要なことなの? 不食には、食べる以上の歓びがある! 常識を疑え! 食べなければ疲れず、病気せず、若返る!不食の魅力にとりつかれた著者から1億3千万人への提案。

幸せって何だろう

都市からはじまる新しい生き方のデザイン

幸せって何だろう
と深く考えてしまう。
呼吸のように当たり前な事が
息をするのも苦しくなると言う。
仕事が面白くない。辛い。未来が見えない。

ある本に解決する言葉がある。
専門家からよろず屋になる。
百姓は百の事が出来ると言う意味だそうだ。

苦しさの素は、子供のように様々な事が出来なくなってしまった事だ。
他人任せで、全てをお金で立て替えている。

もしも、お金がなかったら、自分で草でも何でも食糧を探し、自分で栽培する。そこから始めると、幸せが戻っ来る。苦しみから解放される。

頭で分かれば、やってみる。今の仕事より簡単に意外に出来る。成果を求めないからだ。ギブ&テイクじゃなく、ギブ&ギブになるそうだ。

少しづつ生活を変える。忙しさから解放されるためにも、よろず屋にシフトする。しごとを失う恐怖心が消えれば、誰でも幸せになれる。

兵隊さんは、人を殺す事が仕事だ。そう言う社会にしないためにも、自分でやる。

参考書籍
都会からはじまる新しい生き方のデザイン
ソーヤー海 (著), 東京アーバンパーマカルチャー (著)

都市からはじまる新しい生き方のデザイン

夜回りに出かける猫

夜回りに出かける猫

猫は、家の中のありとあらゆる生き物に反応する。まるで、見守り隊のように監視している。蚊でも、ゴキブリでも、何でもでも動いたら飛びつく。本当に助かる。

夜回りに出かける猫
そのまま、朝の3時頃に夜回りに出かける。今夜は2時に出かけた。娘のアレックスがなかなか帰って来ない。息子のみーちゃんが頻繁に出入りしている。はぐれたのか、何度も行き来している。流石、お父ちゃんみたいに女子に優しい。

一時間を過ぎた頃、ようやく娘がか細い声で窓を開けてと帰宅した。叱るべきか、黙って見過ごすべきか、判断出来ない。何事も無かったかのように部屋に入って行った。

娘を持つ父親の気持ちが痛い程分かった夜明け前だった。

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ばんやの湯

日本最大級の規模を誇る高濃度の炭酸泉「ばんやの湯」。38°のぬる湯だから、長い時間入湯出来る。それだから、客も多いので、湯船でウトウトしてしまった。圧倒的に地元の人達が多い沸かし湯。だけど、効果抜群のラムネ人工温泉。疲労回復、美肌効果などがある。

ばんやの湯

ばんやの湯

ばんやの湯

ばんやの湯

ばんやの湯

海ほたる経由で帰宅。カーナビに「長時間の運転、お疲れ様です。そろそろ、休憩をとりましょうか。」と優しく言われてしまった。AIが進むと、もっと優しい言葉でちょいちょい話し掛けられるのかな。

好みの女優さんや声優さんの声で囁かれるのかな、などと妄想しながら帰宅。炭酸泉の効果か、カーナビの声のお陰か、疲労感が無かったのが不思議だ。

ばんやの湯 ~保田漁協直営 ばんや
千葉県安房郡鋸南町吉浜99−5

忙しさとともに飽食を選択してしまった

ポット

歳を重ねると昔の事が、昨日の様に蘇る。今朝、珈琲を半分カップに入れ、別のカップに牛乳を半分入れ電子レンジでチンをした。珈琲カップに牛乳を入れて飲んだ。

ポット

本来なら、ポットから珈琲と牛乳を同時にカップにも注ぐべきだが、手間を端折ってしまった。このカフェオーレは、スイスの田舎町にホームスティしていた頃の朝の食事である。これにパンが一切れだけだった。朝取れの鮮度な牛乳だから、それだけで元気になる。昼も夜も、ポテト中心の質素な食事だった。

今想う。忙しさとともに飽食を選択してしまったようだ。飽食は、何の役にも立っていないのかも。

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小江戸 川越七福神めぐり

圏央道の開通で、海老名から川越まで1時間ちょっとで行けるようになった。圏央道の厚木インターチェンジに入るとサービスエリアがある。このサービスエリアを逃すと、狭山サービスエリアまで何もない。そんなわけで、息子と妻の三人でドライブだ。カーナビも古いので、圏央道のナビがない。空を飛んでいるように無地のところを走っているのだ。免許証をとったばかりの息子の運転に身を任せ、一路狭山サービスエリアを目指した。

やたらとトンネルが多く、かなり狭さを感じる圏央道、八王子を超えるころから路面が変わる。凸凹とした路面と横風が強いのに、驚く息子。それでも、直線に近い高速道路を北上した。狭山で運転を変わり、関越道に入り、5分もすると川越だ。地方都市の代表格のロードサイドショップやレストランが並ぶ川越までの一般道。さあ、カーナビの出番だ。前回、小江戸川越を散策した時の地図をたよりに、毘沙門天の妙善寺を入力した。くねくねと曲がりながら到着。お寺さんには駐車場がある。これは便利だ。

御朱印を頂こうと、お寺の方に尋ねると1日から7日までで終了したという。完成品があるという。すでに七福神の御朱印が押された色紙を千円で買った。もうこのまま帰りたくなるものだが、私はやる気満々だ。それでもスタンプがあったので、色紙の入った紙袋に押した。正確には、息子が自ら担当してくれた。

二番目に選んだのが寿老人の天然寺。珍しい名前だ。カーナビの通り走っていくと、通り過ぎてしまった。1時に家を出て、2時間が過ぎた。焦りはないが、住宅地を山勘で走り、看板を見つけて駐車した。のどかな境内には、小さな寿老人が祭られていた。賽銭に小銭を投げ入れ、拝む。もちろん、息子の入社試験もお金も欲しいが、今年は無病息災を祈った。「息災」は病気や災害などの災いを仏の力で止めるという意味らしい。

三番目に選んだのが、大黒天の喜多院。有料駐車場のある大きなお寺の片隅にあった。駐車場のおばちゃんが、4時で閉鎖するよと大声でいう。通常500円のところを300円にしてくれた。ご利益なのかどうかわからないが嬉しい。というのも、すぐ近くに4番目の成田山があるからだ。間違って本尊に行ったが、それらしきスタンプがない。あきらめないで探した。裏にあった。今年のキャッチフレーズが決まった。「ネバーギブアップ」だ。

四番目は、そのまま歩いて、恵比須天の成田山。大きな境内を帰宅する小学生の集団が通り抜けていく。七福神は、片隅にひっそりと佇んでいるので、赤いのぼり旗がなければ、気づかない。そして、水琴窟(すいきんくつ)の看板で存在と重要性に気付いた。弾丸ツアーなので、そんな音を聞いている余裕はない。無視して次に行くことにした。

五番目は、福禄寿神の蓮馨寺。ナビ通り行っても、姿、形がない。迂回したら、小江戸通りに面したところに目立って大きい蓮馨寺があった。駐車場には侵入禁止の看板がある。しかたがないので、妻と息子だけを行かせた。私は、路上駐車して待つことになった。

六番目は、弁財天の妙昌寺。かなり狭いお寺さんの小さな境内の裏手にあった。生垣が美しいところに看板があり、それだけが救いだ。七福神が隅に追いやられている感が強い。メジャーになれない地下アイドルのような存在かもと思う。寒風の中、寒い寒いと言いながらも楽しそうにスタンプを押している息子を見ていると、来てよかったと思う。

最後の七番目は、布袋尊の見立寺、川越というのだから川沿いにある小さな寺だ。4時近くになり、夕日が空を黄金に染め始まていた。「五十音、愛で始まり 恩で終わる」と墨で書かれた言葉が貼ってあった。家族全員にやり切った感があった。お菓子横丁の近くでもあり、寄っていこうと言ったが菓子好きな息子に断わられた。トイレに妻が行きたいというので、川越祭り会館の駐車場に入れた。気のいい管理人のおじさんにトイレを使うだけだと伝えるとただで駐車さえてくれた。

ここで大事件が起こった。駐車場をでて帰路について交差点を曲がったところで、妻がリュックがないと言い出した。車の中を探してもない。いつも冷静沈着な彼女は、たまにとんでもないことをしでかす。昨年も旅行中に転んで手首の骨を折ってしまった。考えつくのは、トイレなので戻って探してみた。運よく誰にも発見されずに、リュックを取り戻すことが出来た。早くも、七福神が守ってくれた。

帰路について、狭山サービスエリアで休憩をとった。カップヌードル、オニオンスープ、クラムチャウダーのカップ物があったので購入した。電子レンジもお湯もあるので、テーブルで食べることにした。簡単な夕食でなく、本格的な夕食だ。小腹がすいたので、スナック的なものを食べた。

50キロ先の厚木パーキングエリアでも休憩をとった。「B‐1グランプリキッチン」ご当地モノが売りらしい。八戸せんべい汁が食べたかったが、さすがに言えない。プチ大福もち(3個入り百円)を買って完食したら息子に怒られた。弾丸ツアーだったが、無事に6時には帰宅できた。息子が大学受験の年には行かなかった七福神めぐり、それまで10年続けていた。それでも、志望校に合格した。神頼みでは、無理だったようだ。あくまでも、神様はサポーターであると自覚するのも大切なのかも。復活して家族の絆が深ったことが収穫だったようだ。

小江戸川越七福神霊場会
第一番 毘沙門天(妙善寺)
第二番 寿老人(天然寺)
第三番 大黒天(喜多院)
第四番 恵比須天(成田山)
第五番 福禄寿神(蓮馨寺)
第六番 布袋尊(見立寺)
第七番 弁財天(妙昌寺)
水琴窟(すいきんくつ)
日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。



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日本酒に合う料理を提供する懐石料理店「蔵元佳肴 いづみ橋 」

海老名が誇る酒蔵「泉橋酒造」がある。海外から酒蔵を見学に来るくらい有名だ。その泉橋の直営店「蔵元佳肴 いづみ橋 」がある。日本酒に合う料理を提供する懐石料理店だ。いつか行ってみたいと願っていた。その願いが叶った。私の誕生日を祝ってくれるというので、ここを指名したからだ。意外に潔く、妻が賛同してくれた。

料理に合うお酒を提供するレストランは山ほどある。お酒に合う料理を提供する店は珍しい。それだけ、甘口、辛口、スパークリングなど酒のコース毎に料理が運ばれ、丁寧に料理の解説を一品毎にしてくれる店は少ない。予約制なのに、ほぼ満席だ。味に厳しい女性客が多いのもうなづけた。そんな訳で、ほろ酔い加減で料理を完食した。

なによりも日本酒デビューをした息子が、お酒、料理ともに大絶賛したことに驚いた。オーナーの橋場さんも駆けつけてくれ、「活性純米にごり酒」を誕生祝いに頂いた。本当に美味しいお酒と料理、ご馳走様でした。生きてて良かった。

http://izumibashi.com/kakou/

蔵の街・小江戸川越へ

蔵の街・小江戸川越へ

圏央道の開通により、神奈川・中部から埼玉へのアクセスが便利になった。14時に家を出て、途中サービスエリアで休憩をとっても、一時間で到着する距離だ。電車では、池袋まで出て東武か西武で行っても2時間。時間がかかり過ぎるので行く気にならなかった。1時間と聞いて、行く気になる。鎌倉に行くようなものだ。

蔵の街・小江戸川越へ

蔵づくりの町並みに車を駐車して、散策を開始した。「時の鐘」がランドマークになっている。あまりに寒いので、甘酒を飲むことにした。心にしみわたるような温かさが伝わってくる。川越まつりの資料がある「川越まつり会館」を目指し、菓子屋横丁をのぞいてみた。香ばしい風味と素朴な甘さの川越けんぴを菓匠「右門」という店で買った。

圏央道にある町をつないで、ビジネスのネットワークを構築することを考えた。人口10万人程度の農業と工業と商業が微妙なバランスで成立した衛星都市をプラネットのようにつなぎわせれば、中央に依存しない新しい町作りができるかもしれない。情報の共有や物流、生産をシェアするなど新たな取り組みが必要だが、自治の独立が保たれる可能性が秘められている。


蔵の街・小江戸川越


川越まつり

川越まつりの最大の特長は、江戸「天下祭」を今に再現した山車行事。精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車が、小江戸川越の象徴である蔵造りの町並みを中心に、町中を曳行(えいこう)される。何台もの山車が辻であいたいし、すれ違うさまは、そのスケールの大きさに、見物客を圧倒する。
平成29年は10月14日、15日開催
川越けんぴ プレーン/胡麻/塩
衛星都市(えいせいとし)
都市圏の中核都市周辺(郊外)に位置し、中核都市に対し通勤・通学や消費者等の流出が多い、または機能の一部を分担している都市のことである。住宅衛星都市(ベッドタウン)や工業衛星都市などがあり、住宅衛星都市の場合は夜間人口が昼間人口より多い傾向にある。

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初めの回転寿司のスシロー

回転寿司のスシロー

初めて、回転寿司のスシローに行った。平日なのに混んでいた。待つこと30分。まず驚くのが、握りなのに、ワサビが無い。ワサビや塩は、別のケースに入れられて回転してくる。自分でサビを加える。

回転寿司のスシロー

だいぶ、お皿の数も増えた頃、テレビで回転寿司のラーメンが人気だと観た事を思い出した。調理の最中に出る、魚の頭やエビの頭などをごみとして廃棄するのでなく、リサイクルできないかと思案していたら、ラーメンのスープに使えないかと思いついたそうだ。魚介スープだ。早速、注文したら、熱々の丼が登場した。
回転寿司のスシロー

タッチパネルで注文すれば、自分の席の近くになると、お知らせがあるので、間違えなく、キャッチ出来る。完全自動化だ。慣れるとこれが心地よくなる。ストレスフリーな店舗のように見えるが、席に着くまでの待ち時間が長い。これが課題だ。それでも、会計金額で満足する。楽しいランチタイムが過ごせる。

株式会社あきんどスシロー | TOP | 寿司(すし)・回転寿司

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ジャズライブのためモーションブルーに

11月21日横浜・赤レンガ倉庫のモーションブルーにジャズライブを聴きに行って来た。「いつか」というヴォーカルの女の子のライブだ。ヴォーカルは、エラフィツ ジェラルドやサラ ボォーン、ノラ ジョーンズくらいしか思いつかない。

学生時代、友だちの増谷君とジョン コルトレーンやセロニアス モンクなどのスタンダードな曲を好んでリクエストしていた頃、チエックコリアの「リターン・トゥ・フォーエバー(Return to Forever)」出会った。水面をかすめ飛ぶカモメのジャケットがあまりにも有名だ。閉塞感だけの喫茶店から、飛び出したくなった。そして、空を飛んで海外に出た事を思い出だした。

日野皓正に憧れてトランペットを独学で吹いた事もあった。近所迷惑をかけた、などなどジャズには、思い出が多い。私の中の心の叫びだったような気もする。今は、フォーチュンクッキーが一番好きだが。

いつか スペシャルライブ in 横浜

Motion Blue YOKOHAMA

いつか スペシャルライブ in 横浜
いつか(vo)
大坂孝之介(p)、伊藤ハルトシ(g,vlc)、真部 裕(vln)、奈良ひより(cho)
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Return to Forever チック・コリア